こんにちは。
塾長のシャロウです。
最近少し暑さが和らいだ気がします。
セミの声が聞こえなくなったからでしょうか。
とはいえ、ほんの2,3分通りを歩けば汗は噴き出てきますほどには日本は暑いですね。
秋が待ち遠しいです。
さて、タイトルの通り、今日は本を読むことについてです。
私自身は子どもの頃からまあまあの本の虫で、昼休みなどの
長い休憩時間には図書室によく赴きました。
本を読むという行為は一体何のためにあるのだろうと、
子どもたちに読書を薦める際に考えます。
「なぜ読書をしなければならないのか」
世間一般の方々はこれに対する自分なりの答えがあるのでしょうが、
子どもはなかなかそこまで思うことができません。
まず1つ否定しておきたいのが「情報・知識を得るため」のみの読書は無意味だと
私は考えています。
暴論のように聞こえますが、正直知識を得たいためでしたらどなたか詳しくご存知の方に話を聞くなり、インターネットで記事を調べるなりすればよいからです。
私は京極夏彦さんという作家のファンなのですが、彼の作品に『書楼弔堂 破暁』というものがあります。
ものすごく薄っぺらく平たく言えば「弔堂」という本屋の話なのですが・・・。
序盤において、主人公と弔堂の店主が本が持つ価値の話をします。
「本とは墓である」と弔堂の店主が言います。
この話が私にとっては大変深いのですが、あまり書き連ねると長くなるので、大事なところだけ抽出するとこんな感じです。
-以下引用-
【『-墓は石塊、その下に埋けられているのは骨片。そんなものに意味も価値もございますまい。石塊や骨片に何かを見出すのは、墓に参る人なのでございます。本も同じです。本は内容に価値があるのではございません。読むと云う行いに因って、読む人の中に何かが立ち上がる-そちらの方に価値があるのでございます』】
私はこれまで自分が言語化できていなかったことをこの本のおかげで、自分なりの考えにまとめることができるようになりました。
私見ですが、本を読む重要性は以下の2つだと考えています。
1.人生の糧にできる
2.文字を読んで、それを受入れる習慣を作れる
1つ目は、本を読むときに大事なことは、その本が自分に「何かを与えてくれている」と感じるのが大事なのだと思います。
それをするためにはしっかりと言葉を噛みしめて読まなければいけないですし、物語ならば、そのぐっとくるシーンなどを映像化したり、自分と本の間に何らかの絆を見出すことができれば、それは十分意味のある読書になるのだと思います。
そしてそういった本との結びつきが多ければ多いほど、その人の人生の糧となってくれるのだと思います。
正直、つまらない、無意味だと思った本は読むのを止めて良いと思っています。
あくまで読書スピードを上げたいなどでしたら多読は良いのかもしれませんが、
私は読書は楽しむものでありスピードを競うものではないと考えておりますので、
別にしています。
2つ目に、文字への慣れです。
昔と違い今は映像技術の発達で漫画、アニメ、映画、ドラマなど視覚化された感動や上で述べたような「自分の中に立ち上がるもの」がダイレクトでぶつかってきます。
それも大事だと思います。
ただ、文字からそれらを得られる、というのも子どもたちにはわかっていただきたいと私は考えています。
アニメや漫画のように視覚化されたものは文字と違ってインプットがスムーズなので
楽ですし、臨場感も強いでしょう。
しかしそれに慣れて文字を読む習慣を廃せば、大人になったときに困ります。
大人になれば、契約書を読んだり、何をするにしても文字を読む力が必要になります。
本を読むことで文字を体に入れる練習をして、且つ、アニメや漫画のように感動や臨場感をぜひ文字から味わえるようになってもらいたい、ということが私の願いです。
これが私の考える【本を読むべき理由】です。
皆さんも楽しい読書を心がけてみてください。
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