みなさんこんにちは。
最近は仏教の成り立ちや歴史の本を読むことにはまっています。
もともと妖怪や地獄が好きだったことがきっかけなのかもしれません。
私にこの宗教!と肩を入れる宗派などは存在しないのですが(一応仏教徒のはずです)、
禅宗や密教の考え方は非常に面白いと思っています。
どちらも悟る(大悟)するのが生きている間に可能だと説いているのがまた面白い。
どれも宗教と歴史を紐解くとさまざまな知識、考え方が得られるのですが、
それのみに盲目的に囚われると排他的になってしまわないかと、自分の器の狭さにおびえてしまいます。
さて、全然関係ない話から始まってしまいましたが、
コロナ禍の脅威が少しずつ薄れてきて、そしてまた少しずつじわじわと蔓延してきているような今日この頃です。
今週から大阪ではほとんどの学校が通常授業を再開し、子どもたちの反応もさまざまです。
久々に室内で35人前後の人と一緒になるのも久々で、教室の狭さを実感した!と言う子もいました。
およそ3,4か月、皆さんの日常が消え去り、不安な日々でしたが、少しずつ日常を取り戻せそうです。
しかしながら、ここからがむしろ警戒を強める時期で、すぐにでも第二波が来ると思っておいたほうが、ある意味良いかもしれません。
面白い故事(昔の話)に「百日の説法屁一つ」というものがあります。
(これも仏教関連?ですが)
分かりやすくこの話をアレンジしたものを下に書きます。
ある僧侶が100日間民衆に説法(ありがたいお話)を一生けん命にしました。
民衆は少しずつ「あれ、この人熱心でいいな」と彼を信用し始めたのですが、
ある日、シリアスな説法中におならをしてしまいました。
もうどうなったかわかりますね。彼の信用は崩れ、笑いものにされてしまったのです。
正直おなら1つでそこまでか、と思いますが、
これまで頑張って来たのに…ちょっとしたことで全部が失敗になってしまう。
くれぐれも油断はせぬよう・・・
という故事成語です。
私たちも2月、3月、4月と100日以上耐え忍びましたが、ここで急にハメを外さないように注意をしたいものです。
おならならまだしも、ウイルス感染はしんどいですよね。
それでは、新型コロナウイルスもそうですが、
マスクによる熱中症にもみなさんお気をつけてお過ごしください。
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